哀愁館より

哀愁館より

なつかしい方からメールが届きました。

数えてみれば28年前(なんだかおばあさんになった気分・・)の春、
金沢に向かいました。
目的は、暮らすために。
もう少し詳しくいえば、俳句を作るために四季の豊かな地に暮らすために。
日本に留学をするんだ!と意気揚々とした思いを抱いて、かの地へ向かいました。
(そのあたりのことは、「手しごとを結ぶ庭」に書きました。
ご興味のある方はどうぞ。。)

仕事も学校も決まっていない女の子にようやく貸してくれた部屋は、
西の廓のほとりにあって、
当時は夕方になるとお姉さんが煙草をくわえて立っているような
ちょっと時代がかったような街でした。

白木蓮がまぶしく咲き出した春の日、
その部屋からアルバイトを求めて一軒目に訪ねた場所が、
工芸のギャラリーショップでした。
どんなアルバイトでも最低限暮らせるお金が稼げれば、、、
と思って行った金沢で働くことになった仕事が、
一生の仕事となったのですから、不思議なものです。

と、、話は逸れましたが、そのギャラリーショップの面接の日。
部屋からてくてく歩いて犀川に出て、豊かな雪解け水の流れを逆さまに
上流に向かって歩いていると、不思議な佇まいの家が一軒ありました。

その家の塀沿いには時間がしみこんだ植木鉢がいくつもあって、
その中には菫やスイセン、オダマキなど春の季語が顔をのぞかせていて、
門越しに庭をのぞけば、放ったらかしのようでありながら、
住み手の心が通っている草木の佇まいが、なんともなつかしいような風情でした。
さすが金沢だなぁと、うれしい気持ちがふくらんで、
面接に向かう足取りも軽くなったのを今も鮮やかに覚えています。

その家の住み手、泉井小太郎さんと音座マリカさんと出会うことになったのは、
それから2か月後くらいのこと。
一緒に句会をすることになったのも、物語のような出来事でした。

お二人の暮らす豊かな佇まいの家は「哀愁館」と呼ばれていました。
詩を書く人、星を見る人、野山に草草を訪ねる人。
季節の恵みで料理をふるまってくれる人や、踊る人。
さまざまに何かを求めて実践する人が行き交う館が哀愁館でした。

私は1年半で関東に戻り、
数年後に哀愁館は大家さんの都合で取り壊されてしまいました。
市川で小太郎さんマリカさんの展覧会を毎年開かせてもらっていましたけれど、
それぞれの仕事の風向きが別の方にそよぎはじめて、
心にいつもいてくれる温かな存在のおふたりでありながら、
日々のあれこれにまぎれて、お会いすることも少なくなって年月が経っていきました。

それでも、ふっと思い出すのです。
哀愁館のこと。
そして、小太郎さんマリカさんのこと。
酸いも甘いもそれなりに噛分けるようになって、
だからこそ一層輪郭豊かに思える
哀愁館に行き交ったひとたちのこと。

メールをいただいたのは、小太郎さんからの電子書籍のご案内でした。
実はその前に、kndleで「夢と天然」と「北条石仏 —謎が立っている
を求めていました。

詩集「夢と天然」は、
序  翁草 から始まって、人 、鳥、花、星、夢
と章が続きます。
小太郎さんの心の中どれほどの鳥、花、星にまつわる
言葉が息吹きをもって蔵されているのかと思います。
その言葉は深いほどに平易で、
誰の言葉でもありながら、小太郎さんからでしか
生まれない言葉でした。

後記の一部にこんな風に綴られてありました。

・・・
夢も、天然も、現代では困難な言葉になっているかもしれない。だからこそのタイトルである。まことに茫々漠々たる生涯、うつろな境涯の身にとっては、一羽の鳥や、一本の草、一片の星との出会いの景こそが世界であり、宇宙であり、その実景実感によって、わが孤景も開かれてある。
(小太郎さんに許可をいただき、転載させていただきました)

小太郎さんが庭の草木を愛で、野山を訪ね、夜空の星を一心に仰いでいた姿が、
詩という言葉に姿を移していることに、
ああ、こういうことがほんもののことだなぁと心があたたかくなりました。
そして、若い日の時間に、こういう人たちと同じ草木に触れて、星を仰ぎ、
言葉を紡ぐことができたことを、しみじみありがたく思ったのでした。

「哀愁館」の前を初めて通った春の日、その周りを包む空気感も
小太郎さんの詩だったのだと、28年が経って気づきました。

小太郎さん、マリカさんにまつわるお話は、まだまだたくさんありすぎるので、
また機会をかえて。
北条石仏とふうらかんさんのことなども・・・

お二人の㏋、そして電子書籍、ぜひご覧になってみてください。

六角文庫 →